悪縁切って良縁結ぶ 僕が京都で見たもの
今僕はお盆休みを利用して京都に来ている。
旅行中はブログを放置していたのだが、今日はふと考えさせれるものをみつけたので
紹介したい。
今日はかねてから行きたいと思っていた安井金毘羅宮に詣でてきた。
安井金毘羅宮は祟徳天皇を祭った神社で様々な悪縁を断ち切り、良縁をもたらすご利益があるとされている。(僕が切りたい縁は浪費と無駄遣い...)
多くの絵馬では病気の回復祈願や争いごととの縁切り、別れた恋人と潔く別れての再スタートなどが祈願されていたのだが、その中で一つ残酷な物を見つけた。
これを書いた親御さんの気持ちがどのようなものだったかはわからないが、僕には
「子持ち女との悪縁」という言葉が気になった。
実際にはこの子持ちの女性が悪い人なのか、どのような人かはここには書かれて
いないのだが、これを書いた親御さんはおそらく自分の息子さんが子持ちの
バツイチ女性と結ばれることを快く思っていないのではないだろうか?
僕自身の両親もかつて、職場の中の後輩が子持ちのバツイチ女性と結婚したと言って避難していた記憶がある。
これらの批判の根底には、離婚というものへの忌避と、未婚の者同士での初婚で一生を過ごすこと(偕老同穴)への絶対的なこだわりがあるのではないだろうか。
人々の思考の根底には未婚の者同士が結婚し家庭を築いていくということが常識であり、それ以外を認めないのである。
常識を外れた者は外道として扱われる。また、離婚自体も後ろめたい経歴として扱われてしまう。
常識こそが幸せであり、外道に堕ちれば軽蔑の対象となるというふうに信じている人が多いように僕は思う。
しかしながら本当の幸せは世の中の常識や伝統的な価値観などでは決めることができない。それは個人の価値観や心が決めることである。たとえ子持ちでバツイチの女性との結婚であってもその人がすべてを受け入れたうでの結婚であれば、未婚の者同士との結婚と同じように扱われてもいいと思う。
幸せの形は人それぞれであり、世間の常識や伝統的な思考によって決まるものではない。しかしながら、一般的とされている幸せと呼ばれるものから外れてしまった人は世の中から疎外されることがほとんどである。
僕自身は幸せの形が標準的な型に押し込められることは結果的に多くの人に閉塞感を感じさせることになると思っている。
本当の悪縁とはこういった世間の常識やしがらみに縛られた幸せの形なのではないだろうか。そしてこうした悪縁と別れたときにこそ新しい幸せの形(良縁)が見えてくるのだと僕は思う。
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