チーム、協調性は社畜の付き合い残業フレーズ
今日は社畜が好んで使うチームや協調性という言葉について考える。
みなさんはオフィスでこんな事を聞いた事がないだろうか?
「部署はチームなんだから他の人を手伝って当然だ。」
「みんなが残業しているのにお前だけ帰るなどチームの一員として協調性に欠ける行動だ。」
ネットの掲示板に自分だけ定時にさっさと帰ってしまう人についてどう思うかが議論されている中で見かけた意見だ。
僕が感じる反感
実を言うと僕は、チームや協調性という言葉に幼い頃から反感を持っていた。
小中高と学級の中で合唱コンクールや体育祭といった中で大して仲の良くない(むしろ悪い)クラスメートとなぜ一緒にひとくくりにされて同じことをやらなければいけないのだろうか?しかも毎回でてくる言葉はチームと協調性だ。チームに協力しない人間や協調性の無い人間は厄介者として扱われ、集団と同じことをするのを無理強いされるというクソな環境が学校にはいっぱいあるように思う。
なぜ社畜は、チーム・協調性という言葉を振りかざすのか?
僕自身が考えている理由は、俺様が頑張って必死こいているのになんであいつだけ早く帰れるんだよ!!なんであいつだけまったりしてるんだよ!!という一方的なひがみを定時で帰る人に抱いているんじゃないだろうか。そして、俺が残業であいつが定時なんておかしい!!なんとかして俺と同じ境遇に引きずり込んでやる!!という負の感情(というか思考)が芽生えた結果、「部署はチームなんだから他の人を手伝って当然だ。」「みんなが残業しているのにお前だけ帰るなどチームの一員として協調性に欠ける行動だ。」という社畜フレーズが出てくるんじゃないだろうか。
チーム・協調性は付き合い残業を正当化するための詭弁でしかない。
人は自分が悪人にされたり批判されるのにものすごく弱い。それは誰もが弱みを握られることが嫌だからだ。社畜たちはチーム・協調性と言う言葉で一方的に人を批判する事で規格外として扱うぞという脅しをかけ、不毛な行動に従わせようとしているだけなのだ。
結局はチーム・協調性は脅し文句としてしか使われない。
反撃だ!!
こんな根拠ゼロの阿呆フレーズにつきあわされるなどたまったものではない。
もし部署がチームと言われたなら、こう言い返そう。
①チームに与えられたミッションは何でしょうか?
②その中で私に与えられた役割、果たすべき役割が定義されているのでしょうか?
③チームのメンバーにミッションと役割の遂行は共有されていますか?
④ミッション遂行の作戦は共有されているんでしょうか?
なにもチームらしいことやってるように見えないんですけど!!
僕は怖くて言えないのだが、誰か勇気のある人がいたらぜひ試して欲しい(笑)
やっぱり早く帰りたい。雰囲気のいい部署のほうが良いに決まってる。
もしこのエントリーを読んでいる貴方が部署のボスならば①〜④の遂行をお勧めする。そしてもし貴方が部署の一般社員ならば上司に①〜④の遂行を勧めてみるといいだろう。もとより聞き入れる雰囲気があればの話だが...
部署が個人事業主の集まりみたいな状態では部署内での助け合いは絶対に生まれない。
サッカーを見れば、チームで何かをやるということがわかるんじゃないだろうか?
それは一人一人が適材適所で能力を発揮できるように人を配置しなければならないし、作戦を共有しなければゴールは先ず無理だ。
なによりも知って欲しいことは、無理にチームと言い張って無理強いしたら本当のチームなんて絶対にできない。ということだ。
きちんと機能するチームをつくれば部署の雰囲気も変わるし無駄な付き合い残業も減られせるはずだと僕は思っている。
定時に帰るためだったら何でもやるぜ!というチームに所属したいなー。とか思う今日この頃である。
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