Taigoの日記帳

会社嫌いであり、仕事嫌いです。個人的な考え事をのんびり日記に綴ります。(目標は一週間に一回更新)

モバイルハウスという考え方 資本主義の常識と戦う知恵を持とう。

皆さんは自分の住まいにいくら払っているだろうか?

アパートならば一ヶ月○万円

ローンで家を買ったらならば一ヶ月○○万円の返済と言う具合ではないだろうか。

 

僕自身は一ヶ月の住居代は33,000円だ。

支払先は両親であり、実家居候の親のすねかじりの成せる技だということを白状しよう。ちなみに3,000円はネット代である。ちなみに12月から43,000円に値上げするつもりのようだ。

 

さて、一昨日に本屋さんで一冊の怪しげな書物に出会った。(怪しくないよ!!)

 

モバイルハウス? ワッツ?何それ!?

三万円で家をつくる マジ!?本気!?

 

この本の著者である坂口恭平さんは建築家であり、作家でもある。

そんな彼は路上生活者の「家」を研究し、世の中に発表した第一人者である。

0円ハウス

0円ハウス

そうともあの有名な0円ハウスの著者である!

僕は高校生時代この本を友人と見て、めちゃくちゃ衝撃を受けた。

ソーラーパネルで電化してテレビ設置!設計図で間取りをデザイン!なんと!

当時ソーラーパネルを屋根に置く家などほとんど無い時代にこんな芸当をなしているとは想像もしなかった。しかも都市のゴミからそれらを創り出していることが信じられなかった。

そして0円ハウスの作者たちを都市のスーパーリサイクラーと呼んで敬意を持つべきだと友人と話した。

 

 

さて今日の一冊、『モバイルハウス 三万円で家をつくる』の感想をちょっとだけ書かせてもらおう。

 

本書は坂口さんが土地や不動産というものが一部の人間に所有され、「住む、生活する」という人間の基本的な行動にものすごい多額のコストがかかる現状に疑問を抱き、

もっと多様な「家」のあり方があっていいのではないかという考え方から始まる。

 

やがて、隅田川在住の鈴木さんから設計アドバイスを受け、さらに多摩川文明に暮らすロビンソンから手ほどきを受けながらモバイルハウスを作るのだ。しかも材料はホームセンターで買った木材や波形プラ板などの誰もが手に入れられるものばかり。ソーラーパネルを設置することで発電もできる優れものだ。

 

かくして完成したモバイルハウスにインフラを整備したり、実際に生活することで人間という動物が生きるうえでの「家=巣」とは何かという考えが生まれる。

 

小さな家に住み生きる事を考えたり、都市の恩恵を無料でゲットする様はまるでデイオゲネスを思わせる。

 

 

僕が読んで結構印象を受けた意見を何点かあげる。

 

・日本では家という言葉が持つ意味がとても狭い。それは多額の借金を背負って手に入れるか高い家賃を払うかのどちらかしかない。

 

・人間が生きるのに住む場所は必ず必要だから一部の人に占有されて、貧乏な人が生きられなくなるのはおかしい。土地とは公共の資産であるべきだ。 

 

・35年ローンで借金を抱えてまでいつ起きるともわからない地震で崩れる脆い家を買う必要はあるのか?

 

・お金を払って自分で何もしないことは誰ともコミュニケーションせずに思考しないのと一緒。

 

こんな意見を読みながら、視点を変え消費することをやめ、お金を使わなくても人は結構豊かな生活を享受することができるんだなと思った。

0円ハウスには僕の知っているような労せずしてガス、水道が手に入る便利さはないけれど、自分で獲得したものによって生活する狩猟能力を鍛えてくれる。それはある意味で停電して速攻でパニックなる都会人たちへの戒めにも思えた。

 

僕自身は会社でも家庭でも、「家を買うために貯金しろ〜」「ローンを払うのは大変だぞ〜〜!」と日々脅されてビビっていた。

 

でも、その一方でなんで何千万円も借金して家を買ってそれのために一生の大半を使って借金返済マシンとして働かなきゃいけなんだーーーー!とか思っていた。

 

住処のローン返済のために何人もの人が社畜として会社に縛られる時代、

会社をクビになったらローンが返済できずに自殺してしまう人さえいる。

 

この本ではモバイルハウスビレッジという構想や無料で住む事ができる零山という夢のようなプロジェクトが語られる。無料で借りれる土地や家を自分たちの領土として統治をしようというZero Publicというプロジェクトもとても興味深い

 

住まいへの考え方をかえるだけで僕たちの生活はもっと多様性があって豊かに社会にかわるんじゃないだろうか?

この本は「住まい」から出発して「自分自身で考えて行動し、たくましく生きていくライフスタイル」を考えさせてくれる一冊だと僕は思う。

 

 

「何千万円も借金して家を買ってそれのために一生の大半を使って借金返済マシンとして働かなきゃいけなんだーーーー!」って考えたことある人は是非立ち読みでも良いので手に取ってみて欲しい。

 

もう、既に家を建てちゃった人にもお勧めである。モバイルハウスを日曜大工で作って子供と遊ぶ事もできるだろうし、都市型狩猟採集生活を日常生活に織り込む事で家庭のランニングコスト削減にもつながるかもしれない。

 

じゃ、おやすみなさい (−ω−)ノシ

ゼロから始める都市型狩猟採集生活

ゼロから始める都市型狩猟採集生活

 

 

さらし首のような恐怖政治、ブラック県知事の横暴

一昨日の事だろうか。このようなニュースをNHKで見かけた。

 

(※リンク先は毎日新聞)

 

全国学力テスト:国語、「下位の校長名、公表を」 静岡県知事が言及

http://mainichi.jp/feature/news/20130910ddm041100117000c.html

 

なんでも県下一の下位校の校長先生の名前をさらし首にしようという話らしい。

 

僕自身はこれを見てブラック企業の公開処刑を思い起こさせるようでぞっとした。

そしてなによりもこの発言をした川勝知事に嫌悪の念を抱いたと白状せねばならない。

 

嫌悪の念を抱いた理由は二点ある。

 

一つ目は静岡県の学力テスト(国語)が下位であることを全部教育現場の先生たちのせいにして、懲らしめる考えを示したこと。

学力テストの成績が下位である原因を先生たちだけの責任にしてしまうのは間違いだと僕は考える。

ひょっとすると静岡県の小学生は下流の児童が集中してあちらこちらで授業崩壊が起きているかもしれない。

または、教育にかける予算が圧倒的に不足して指導教諭が足りていないのかもしれない。ほかにも、外国出身の両親の間に生まれた子供たちが多く、日本語の習得に苦労しているかもしれない。などなど、いろいろな原因が考えられるのではないだろうか。

学力テストが下位になった理由を本当に調査したうえでの発言かと言われたら一時的な短絡的思考に走った妄言と言えよう。

本当に大事なのは学力テストで下位を獲得した原因を調査し、適切な対処を取る事である。原因を先生たちに押し付けて終わりにするなど言語道断である。

 

二つ目は、下位校の校長先生とさらし首にしようという軽率な発言だ。

なかば恐怖心で人をコントロールしようとする卑劣な考え方と言えよう。

このようなやり方を取られると現場ではやり場を失った教職員が成績を一時的に数値を改善(したように見せかける)させる方法は限られてくる。教員主導のカンニングとテスト日に下位成績生徒の欠席させることくらいだろう。

こうなったらさらし首という処置は誰の目に見ても改善はもたらさないことは明らかであろうか。

 

そしてなによりも子供たちの成績を売上げ金額の数字を扱うような感覚で扱っているとしか思えない。売上げが低いからどうにかしろというブラック企業の経営者が社員を叱責するような構図にしか見る事ができない。

 

今回は人の揚げ足取りのような記事を書いてしまったが、教育現場での問題を教師だけに責任を押し付けるのは危うい考え方だと僕は思っている。

そして数字だけで県の世間体を気にして子供たちへの良い教育とは何かという問いに根本から考えていないことは明白だろう。

川勝知事のような人が教育に口を挟むのはいかがなものであろうかと思ってしまう。

 

恫喝で教育は改善しうるか?

無理でしょ!!

 

社会人としての教育がなっとらん。は、社畜としての調教が終わっておらん。とほぼ同義。

 

今日会社の帰りがけにふとこんなtweetをしたら意外な事に多くの方からRetweetを頂いてびっくりした。

 

多くの人が会社の中でこの言葉に出会うんじゃないだろうか。

「社会人としての教育がなっとらん!」

 

僕自身は幸いにも職場のおじさんたちから言われた事がないんだけど、

僕が以前の部署に配属された新人君が陰で言われていた。

 

まあ社会人ということばの定義や諸説ある議論についてはとても魅力的なトピックだが今日は割愛させてもらう。

 

社会人としての教育がなっとらん!という言葉が言われるときはたいていの場合、新人が年次上の先輩や上司に対して丁寧に対応しなかったとか、敬語が変だとかそういうケースがほとんどだと感じている。

この言葉にあるのはある意味では「組織の中で偉い俺様に対して何たる態度!けしからん!!」というおじさんたちの奢りみたいなものを僕は感じる。

 

偉い人(社内において位が高い者)にはとにかく礼をして敬語を使えというのが極論なのだがこれを新人にいきなり叩き込むのは教育ではなく、調教と言えよう。

 

僕の勝手な解釈だけど教育と調教の違いはこんな感じ。(※解釈には個人差があります)

教育:理解をとりつけ知性と精神を育み、人間性を育てる事。

調教:訓練し、思い通りに行動させる事。

 

会社に入ってきたばかりの新人たちにとっては周りにいる人々は老若男女問わず全員が宇宙人のような存在であり、どう扱っていいか戸惑っているはずだ。

組織の構造や責任者大系などについて理解したり、そこでの責任者のポジションや偉さの度合いきちんと正確に理解するのには時間を要する。

 

きちんとした理解のない者を威圧して従わせてしまうのはいかがなものであろうか。

 

僕自身は敬語やマナーというのは相手を敬いたい場合、大切にしたい場合に使うものだと考えている。だから会社では外部の方は勿論だし後輩であってもお願いごとをするときは敬語を使ってたりする。

 

会社で多くのサラリーマンが敬語というものを使う理由は敬いの気持ちよりも、利害関係ある上司に話すときのルールとして捉えているように感じる。

 

そんな中でとくに納得できるような説明もなく、社内の偉い人には礼儀正しくなどとルールの盲信を強いることを僕は調教と呼びたい。

 

敬語やマナーと言ったものの意味や、会社内の組織や人間関係をきちんと教えた上でどう相手と接するのが良いかを考えさせたり指導していくのが理想的な教育 というんじゃないだろうか僕は思っている。

 

おはり。

フィンランド式 叱らない子育て―――自分で考える子どもになる5つのルール

フィンランド式 叱らない子育て―――自分で考える子どもになる5つのルール

 

脱社畜の働き方 読後の考察

前回のエントリーで速報と銘打ってレビューを投下したところ9月7日だけで225件のPVをいただく事ができました。ブックマークに追加して下さった日野さん、僕のページにお越し下さった方々に厚く御礼申し上げます。

 

今日は僕自身の考察を交えたうえで脱社畜の働き方を読んで考えたことを書きたい。

僕自身の身の上話や考え事をふつふつと書いていくので読むのに気乗りしないところはどんどん読み飛ばして欲しい。

ただ一点、その前に僕と脱社畜ブログの出会いについて書かせてほしい。

 

僕は2012年の9月頃に会社で社畜の先輩と喧嘩(大人なのでバイオレンスは使わない)し、2週間近くだろうか、ろくに口を聞かない日々が続いていた。役員会議の資料作成や部署内での雑用で残業ばかりの僕に、その先輩は気遣いもなく無駄な雑用や宿題ばかり押し付けただけでなく後輩の僕を軽んじる発言ばかり周囲にしていた。

そんな訳でとある会議資料の提出期限切れの際に文句を言われて大げんか。

「まともに会議資料のソースが担当者から出てこないから引っ剝がしに行ったり、俺だって苦労してるんですよ!!これ以上何をやれって言うんですか!?やれることはとうにやりつくしてますよ!」云々間縫うんの口喧嘩をしてしまった。

部署での仕事がしんどくなった僕は休日に体調を崩して一日中寝ていたんだけど、会社ごときで体調を崩して寝込むのも悔しかったので街に出て本屋さんに行った。

そこで偶然見つけた本がPhaさん著のニートの歩き方だった。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

プログラミングの棚になぜかぽつりと置かれた本を偶然手に取り、立ち読みしたら電撃のような衝撃を受けた。書き出しは「だるい。めんどくさい。働きたくない。」

「僕が求めてた本はこれだ!ウマーー!」とか言いながらのんびりじっくり読んだことを覚えている。

やっぱり日野さんの真似みたいな事を書いてしまうようだけど、 ニートの歩き方(P102)にどんな変な意見や趣味でも全世界のどこかに共感してくれる人がいるはずだからネットで発信しようという内容のことがあったので仕事についての文句をtwitterに綴ってみた。

そんなある日にTwitterを見たら電脳くらげという見慣れないフォロワーが現れた。

当時のプロフィール写真はもちぐまではなくて本当のクラゲの絵だったんだけど、電脳くらげ氏のプロフィールにアクセスすると脱社畜ブログという魅惑的なブログが広がっていた。

当時はまだ開設して2〜3ヶ月のブログだったんだけどそれでも十分なまでに読み応えのある知的な文章がブログには溢れていた。仕事で不満を抱えていた僕にとってはとても共感できる内容だったし、職場にはびこる悪習をこれでもか言わんばかりにあげつらっていたため、読んでいてストレス解消になっていたと思う。仕事で嫌な事があったりしたときにトイレ個室や通勤途中や帰宅途中に電車の中でiPhoneから読んでいた。

脱社畜ブログは誰もが持ちうる会社で働くことに対する鬱屈した気持ちのカオスから少しずつ秩序ある批判を形成していたんだと今は考えている。かくして僕は脱社畜ブログと日野さんのファンになったという次第である。

時々こりゃ言い過ぎかもと思う記事もあるけど、誰もが働きやすい職場を創っていくには賛成って思っている。だからこれからも日野さんの活躍に注目していこうと思っている。

 

 

前置きが長くなりすぎたけどここからが読後の考察である(汗)

 

1章 日本の職場は理不尽なことばかり

2章 社畜にならないための考え方

本の約半分近くを占める1〜2章は日野さんが書き溜めてきたブログのエントリーから特に優れた記事の内容をリファインした文と言っても良いかもしれない。脱社畜ブログを愛読してきた人ならば、さくさくと読み進めることができるはずだ。

 

 1章では、会社にはびこる理不尽なことを列挙しながら社畜の思考と脱社畜の思考を対比している。主な内容としてはサービス残業と有給取得率の低さといった諸問題をとりあげている。

とくに残業や有給の問題については僕自身も「お前の仕事が遅いからいけない」とか「義務を果たしてから権利を行使しろ」とかいうことを日常的に言われて有給を行使しにくい雰囲気を体験したことがあるのですごく共感できる内容だった。

会社にはびこる同調圧力が全員を不幸にする力として作用しているとう指摘は非常に的を得ていると思う。

 

そして2章では1章をふまえた上で、社畜にならないための考え方。すなわち社畜の中にある常識を否定し、この社会の中における生きにくさを作り出している原因を究明している。とくに僕が読んでいろいろと考えたのは自己実現と成長そして会社は家族の3項目だった。

 

・仕事による自己実現や成長について僕が思う事

読みながら思い出した僕自身の経験を書くと、入社してすぐに会社での自己実現や出世といったことに全く興味が無くなってしまったせいか会社の同期との飲み会で仕事の話にほとんど加わる事ができず自分の趣味についてだけ語っていた。皆仕事熱心だねえとか思いつつ全然理解することができなかった。そんな状況も2年目3年目と年次を重ねるごとに仕事について熱く語る同期もだいぶ少なくなった。

ある意味では入社当初は皆、会社で働くしんどさみたいな物に気づかずにイメージだけで仕事こそ自己実現だと思い込んでいたんじゃないかと思う。だからこそ、働くうちに仕事のしんどさから仕事による成長とか自己実現について自身の中で膨らんだ欺瞞のイメージだと気づいてしまったんじゃないだろうか。 

成長についても同様なんだけど、会社の中で出世したりすると他部署との折衝や役員からの圧力で随分とプレッシャーがかかる。そんな中で成長するって、残業に耐えたり自分より偉い人からの𠮟責・恫喝に耐えるための胆力を鍛えることにしか僕には思えない。

 

・会社は家族という考え方もやっぱり変だと思う

一度同じ会社に入ったら定年までずっと会社と一緒という考え方も今の事業環境が著しく目まぐるしく変化する経済状況から考えると現実的じゃない。僕自身の周りにいる40代以上の人には特に定年思想が強いように思う。でも実際には会社で雑用をして誰かの指示で言われるままに作業しているような僕みたいな下積みは会社が傾いたら速攻で路頭に迷うというのが正直なところだろう。だから同じ会社でずっと働くっていうのは結構きけんだっていう考え方には賛成だ。

 

・社畜はなぜ生まれたのだろうか?(僕の考え)

脱社畜の働き方ではあまり言及されていなかったのだけど、社畜としんどい労働環境はどうして生まれたのかちょっとだけ考えてみたいと思う。

近代のサラリーマンが生まれたのは集団就職が盛んだった昭和30年頃からじゃないだろうか。このころから農村から都会への人口の大移動が発生しただけでなく就労=都市の企業に就職という大シフトが発生した。ここで働く=サラリーマンという価値観の大シフトも発生したんじゃないだろうか。

やがて集団就職をした人たちはオリンピックや高度経済成長といったビッグイベントを作り出してきた。(あるいはビッグウエイブに乗った。)

こういった好景気の中で多くのサラリーマンは仕事がいくらでもあり、自分たちががんばった分だけ仕事の成果も見えたし、実感できたはずだここで長時間労働や残業して頑張る奴こそサラリーマンの鑑だ、偉いという価値観ができたんじゃないかと僕は思っている。実際に仕事がいくらでもあった時代なので頑張れば会社も大きくなるし皆で一生懸命頑張ろうぜ(会社=家族)っていう雰囲気もここで生まれたんじゃないだろうか。それに松下幸之助本田宗一郎といった今は亡き産業界のカリスマたちが作り出した。終身雇用、温情経営も大きな指示を得ていたはずだ。

働くことこそ豊かの獲得への道、働けば豊かになれるという価値観によって人々はマイホーム、マイカーを手に入れようと必至に頑張った時代とも言えよう。

 

しかし、現在に目を向けてみるとどうであろうか。少子高齢化が進み日本の内需はすっかり衰退してしまったしこれからも加速されるといわれいる状況だ。

過去に築いた豊さを維持するだけでも大変な労力なのにさらに海外に出て売上げを伸ばすことが求められる時代である。明るい兆しが見えない日本で頑張る事を強いられるだけじゃなく売上げの積み増しが叫ばれる現代のサラリーマンが疲弊するのは当たり前なんじゃないかな。さらにそんな不安が多い時代に高度経済成長に創られた労働への美徳観、会社家族説、マイホーム&ハッピーファミリー思想といった諸制度はある種の社畜システムへと変貌を遂げたんじゃないかと僕は考えている。

(僕の考え終わり ※意見には個人差があります。納得できなかったとしても許してください...)

 

3章  僕が日本の仕事観に疑問を抱くようになるまで

この章ではブログにほんの少しだけ触れられている日野さんの起業について書かれている。この章だけでもとっても面白い。

 

働きたくない東大生たちというストーリーが特に印象的だった。社会にうまく伍する事ができない学生たちの悶々として気持ちが起業へのエネルギーに変換されるところは笑わずに読む事はできなかった。とくにセマンティック・エロや闇鍋会は森見登美彦氏の著書である四畳半王国見聞録や太陽の塔を読んでいるような気分になった。

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)

四畳半王国見聞録 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

ソーシャルゲームの会社を起こすストーリーもすごく引き込まれた。仲間を集めたり資金を集める部分は一つのIT起業の誕生記のストーリーを読んだ気分を思い起こさせてくれた。特に貴重なのは失敗に終わった事例であること。たいていの場合は美化されたサクセスストーリーだけどここでは失敗や会社をたたむ様子が克明であるのは珍しいと思う。

 

4章 プライベートプロジェクトのススメ

ここではプライベートプロジェクトのやり方やアドバイスが紹介されている。僕自身にとって一番印象的だったのはプライベートプロジェクトで仕事と収入を分業することでどちらかうまくいかなくても心理的負担が軽減できることだった。

僕自身、一度会社を逃げ出そうとして半年くらい公務員の受験勉強をしていた時期があったんだけど、勉強期間中は「いつかこんな会社抜け出してやる」という反抗心があったせいか多少怒られても「いつか辞めてやるんだからいいや」と物怖じしなくなった。

今は受験に失敗して落ち武者だが、仕事と収入は失っていない点で良しとしよう...

 

5章 脱社畜の未来

最後は脱社畜によって見えてくる未来、職業や価値観に捕われない考え方への提案が書かれている。ベーシックインカム(全ての国民の所得保証)や趣味としての労働といった話題が出てくるんだけど僕自身は勉強不足な分野なのでまだコメントできないけれど、仕事中心に世の中が構築されているっていうのはまぎれも無い事実だと思う。

経済成長という言葉は金銭でしか計られないけど本当の豊かさはお金だけでは計る事ができないという内容の意見がでるんだけど誰もが賛成できる意見だと思うので是非読んで欲しい。

 

 

・読了後の至極個人的な感想

仕事はつらい。シンドイから、辛いから金がもらえるんだという言葉を会社で平気で聞く。でもそれって本当なんだろうか?

僕たちはそこにある嫌な現実と戦うこともなく漫然と受け入れて嫌な事に対峙できないでいるんじゃないだろうか?

そうして社畜と呼ばれる至っているんじゃないだろうか。

僕は会社でしんどい思いをするのも嫌だし、先輩や上司から不当にこき使われて馬鹿にされのも嫌である。そして会社に魂を縛り付けれて働くだけの生き物に成り下がりたくない。

 

会社にはびこる嫌な物や問題と戦わずに屈して受け入れたり誰かに強要するようになってしまった瞬間に社畜になってしまうんじゃないかと僕は思う。

もっと個人の自由や心が大事にされる世の中になっても良いんじゃないだろうか。

そうすれば働きやすくてのびのびした良い社会になると僕は信じている。

 

僕はこの本で少しでも多くの人が精神的な脱社畜を果たして働きやすい雰囲気を作っていこうと立ち上がる事を願っています。

 

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方を読んだ!※速報レビュー

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

9月7日発売ということで届くのを楽しみにしていた日野さんの脱社畜の働き方であったが紙の本が届くのを待ちきれずにKindle版をポチってしまった。

 

そして先ほど読み終えた。

僕が初読で特に印象に残った内容(ファーストインプレッション)についてさっくり書かせていただくとこんな感じである。

 

①脱社畜の考え方 VS 社畜の考え方

 ☆脱社畜の考え方

  ・会社と従業員は契約関係でありビジネスパートナー(労働の法令遵守!)

  ・仕事と会社は人生の全てというわけじゃない

  ・仕事以外で自己実現、成長は可能だ

  ・仕事をがんばるということは長時間労働じゃない!アウトプットの質だ!

 

 ★社畜の考え方

  ・会社と従業員は家族なので一体で頑張る(法律なんて家族には関係ねえ)

  ・仕事こそ人生の中心であり、全てである。

  ・仕事こそ自己実現の術であり、成長する方法だ

  ・仕事とは滅私奉公であり苦労してこそ美しい。それが頑張るってことだ。

 

 今の会社に巣くう考え方は明らかに社畜の考え方である。年功序列の温情経営、高度経済成長のさなかにある企業としては社畜的な考え方でもやっていくことはできたが今の日本が傾いていく未来においては社畜の考え方は通用しなくなっている。

 

②会社と距離を置く、精神的脱社畜&経済的脱社畜という考え方

・会社というものはあくまで人生の一部と考えて自分の価値観や生き方を大事にする。

・経営者のような目線で頑張って利益を上げたとしても従業員としての給料しかもらえないのだから従業員目線として頑張ろう。

・仕事選びは運ゲームのくじ引きである。環境を変えれば仕事のやりやすさも変化すると考えよう。

・プライベートプロジェクトで自分だけの生業をつくること。そうすることで本業の仕事でうまく行かないことがあっても数ある仕事の中でのちょっとの失敗と割り切ることができるようになる。こうすることで心理的な負担が軽減する。

 

③日野さんの学生起業時代のエピソード

これだけでを読んでも十分に読み物として成立する!

ここでは野暮な紹介は省くが読みながら思わず笑ってしまった。前半でどことなく森見登美彦氏の小説を読んでいるような気分になる男汁を振り散らすストーリーはすばらしい!!

 

④脱社畜の未来

技術の進歩に頼ることで生まれる余剰時間を使って(心理的に)豊な生活を作り出そうという考え方に僕も共感した。

本来は豊かになるために頑張っているはずなんだけど実際には豊かな生活システムを維持する奴隷となってしまった労働者たち。本当の豊かさは豊かになるために労働するだけでは得られないと思う。

そして数字だけの経済成長(GDPの成長率)を追い求めても実際にはヘトヘトの疲れを癒すための売り上げばかりが成長する。(レッドブルを飲んでも豊かになれないという項目はかなり共感した。)

 

今は眠くてヘトヘトでこれくらいしか書けないけどもう少し精読した感想と考察をそのうちアップしたいと思います。

 

(_ _)ZZZzzzzz

日経新聞を読んでも就活はうまくいくわけじゃない。

大学生の就活に必須アイテムとして日経新聞を読むというというアドバイスをよく耳にする。僕自身は大学生のころから実家に居候の身の上なので両親が購読している日経新聞を読むことができるのだけど実はほとんど手に取っていない。そして就職活動をしていたころもちんぷんかんぷんなのでほとんど読んでいなかった。

 

僕が就活を始めた頃はリーマンショックで多くの企業が巨額の赤字を計上し、採用を絞っていた。学生のあこがれのメガバンですらフィーバーの2009年卒の新卒採用が50%だったようだ。

 

就活をし始めた当初は大学主催のセミナーや先輩などからも日経を読めとゴリ押しされ、企業面や投資面を読んだいたのだが情報が多すぎてさっぱりわからなかった。

なによりも自分の興味のある業界や企業の記事を探すのにも一苦労だったし、載っていたとしても小さな記事でほとんど役に立たなかった。苦労して読むのもだるいので早々と放り出した記憶がある。

 

そのかわりに僕は日経テレコン21というサービスを使っていた。

日経テレコンは過去の日経新聞の記事をデータベース化して検索できるようにしたサービスである。僕は興味のある企業や業界の情報を適当に入力して必要な情報だけかいつまんでしまうという何とも怠惰な技を使っていた。

もしあなたが日経新聞に疲れた就活生であったら日経テレコンを試して欲しい。ちなみにお金がかかるけど大学や図書館が契約している場合があるので、(僕の大学では学生用に契約されていた。)是非確認することをオススメする。

 

日経新聞は業界や景気の動向を捉えるにはとても便利なツールだと思うけど僕自身は就活生が利用するには?なメディアだと思っている。どうしてかというと日経新聞は投資家や企業経営者の視線から見た有益情報であって労働者にとって有益な情報とは限らない。

だから日経新聞はあまり企業にとって不都合な事は書かないようにしている。

もしも労働者目線でブラック企業の情報を知りたかったら赤旗という選択肢もありえるだろう。

 

世の中にはいろいろなメディアがあっていろいろな立場から見た多面的な“事実”が存在する。だから、最初に日経新聞を読まなきゃ!という選択肢から入るのは僕にはお勧めできない。

それに日経日経と騒いで儲かるのは日経新聞だけだと言う事をお忘れなく。

 

それに日経の傀儡テレビ局であるTV東京も全面的に信用しないほうがいい。

カンブリア宮殿村上龍が褒めちぎった経営者があとでブラック企業大賞にノミネートしちゃうしね。

 

 

日経新聞読んでもわかんねーよ!という学生諸君におかれましては情報は一カ所だけから取るな!と忠告してこのエントリーを終える。

 

日経新聞の真実?なぜ御用メディアと言われるのか?

日経新聞の真実?なぜ御用メディアと言われるのか?

日本経済新聞は信用できるか

日本経済新聞は信用できるか

 

さてWBSトレンドたまご)を見るか!

書を携えよ、町へ出よう!!

そろそろ夏も終わりかけて秋になろうとしている。

読書の秋...ということでちょっと今日は読書の話をしよう。

 

僕は本を読むのが好きで自分のペースでのんびりと読むためにたくさん買ってしまうせいか本棚がいつも満杯状態だ。

 

そんな状況を改善すべく場所をとらない電子書籍にしようと思い、Kindle Paperwhiteを導入したのだがなぜか紙の本が増える結果となっている。

Kindle Paperwhite

Kindle Paperwhite

 

理由は、紙の本は誰かに貸したり古本で売りに出したりできるからとか、

それと本屋さんで気に入った本はすぐ衝動買いしてしまうし

何よりも本の表紙やデザインそして、手触りが好きだからとかいろいろとある。

 

じゃあKindleが必要ないかというとそうでもない。

 

 

僕がKindleを使用して感じたことを簡単にまとめる。

 

メリット

・1台のデバイスにたっぷり本が入る!鞄も重たくならない。

・内蔵辞書機能が超便利!難しい英単語や四字熟語の意味がすぐわかる。

・読みたかった本が時々セールになったりして得することがある。

・古典や昔の小説が無料で読めたりする! ※だが僕はいつも途中で挫折する!

・スマホにKindleソフトをインストールするとKindle Paperwhiteが無くても読める!

 

デメリット

・自宅に必ず無線LANの環境が必要。最初のアクティベーションでは必ず無線LANでAmazonに接続する必要がある。だから無線LANの環境が無い人は使う事ができない。

・3G通信でコンテンツの購入が可能とは言うが、無線LANが飛んでいると3Gにつながらない。自分がアクセス権利を持っていないカフェなどの無線LANを拾ってしまうと3Gにはつなげられない。(PaperwhiteのWiFiモデルで十分)

・自分専用のコンテンツなので友達に貸したりできない。

・古本で売る事ができない。(転売不能)

・欲しい本に限って電子化されてない。

 

Kindleはこんな人にオススメ!(※メリットとデメリットをふまえて)

・新書をたくさん買ってしまう。新書をたくさん読みたい人

  場所も取らないしいつでも取り出せるから参照したいときに便利。

・英語のペーパーバックをたくさん読みたい人

  内蔵辞書機能が読書の手助けをしてくれる

・難しい言葉や熟語がたくさん出てくる本や小説を読みたい人

  内蔵辞書機能が読書の手助けをしてくれる

 ・たくさん本を持ち歩きたい(く必要がある)人

 

iPadiPhoneなどのスマホタブレットで試してから実際にKindleを使うというのも十分に可能なので試してほしい。

 

実際にKindleを試してみたい人は店頭で触ってみることをお勧めする

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20121203_577088.html

 

 

なお、Kindle FireHD 16GBが3,000円オフのセールになっている。※9月1日まで

この機会に買ってみるのも良いかもしれない。

Kindle Fire HD 16GB タブレット

Kindle Fire HD 16GB タブレット